津々烏鷺うろ

主に囲碁に関する雑記を書いています。ときどき棋譜の解説や感想等もあるかもしれません。

子どもと大人(1)

 「盤上では子どもで在れ、盤外では大人で在れ」

 これは私が囲碁を打つ上で気を付けている心構えである。

 

 囲碁とは、いくつかのルールさえ守っていれば、基本的にはどこに打ってもいいゲームである。相手の石を殺しにいったり、敵陣に土足で踏み込んだり、どんなに無礼な手を打っても許される世界なのだ。

 では、なぜそういった行為が許されるのだろうか。それは、囲碁が「道」だからである。囲碁・将棋の道である「棋道」は「柔道」「剣道」といった武道と同様に、礼に始まり礼に終わる。試合中の無礼行為をお互いに許し合うために、試合前後の礼が必要となる。

 「盤外では大人で在れ」は、この礼のことを表している。対戦相手を心遣い、気持ちよく対局に臨んでもらうために最大限の注意を払うように努めている。とはいえ、不意にボヤいてしまったり石音を立ててしまうこともあるので、まだまだ努力が必要なのだが。

 

 一方「盤上では子どもで在れ」は、盤上では感情を露わにしたり自由で柔軟な発想で着手を決めるということだ。

 相手のキカシに耐えられず無性に反発したくなったり、取りに行かなくても勝てそうなのに怒り狂ったように殺しにいったりという瞬間は、対局中に度々あるかと思う。先述の通り、どこに打っても許される世界なのだから、こういった瞬発的な感情を大事にしていきたいと思っている。一見冷静さを欠いているようにも見えるが、子どものように喜怒哀楽を表現するほうが人間味があって私は好きだ。

 常識・知識やステレオタイプに囚われないというのも子どもの魅力だと思う。真っ白のキャンバスに好きな色で好きな絵を描くように、碁盤の上で自由な手を打って自分を表現できれば楽しいだろうし、それで勝てれば尚更である。

 

 最近私は新しい手をどんどん試しているのだが、それはやはり「AlphaGo」を始めとした人工知能(AI)の影響が大きい。私は自由な碁を目指して打っているのだが、AIの打つ碁とは一体どのようなものなのだろうか。私なりに分析していきたいと思う。

 

(続く)